ももてぃの「失われた時を求めて」再読日記

文学に関しては完全な素人です。岩波文庫で読んでいます。一応、1ヶ月1巻ペース

1巻<スワン家のほうへⅠ>pp310-330.

昨日読んだ箇所について書きます。

 

ジルベルトとの初対面の場面(といっても言葉を交わす訳ではない)続き。

母親(でいいのですよね?)に呼ばれる「ジルベルト」という名前を遠く感じる主人公の心情が、美しく繊細に描写されていました。

ただ、恋い焦がれるあまりジルベルトを貶める言葉を発したいと思う主人公の気持ちは、この年代の子がそこまで考えるかな…と少し違和感を覚えたりもします。

 

1巻は、引きこもり生活(本人からしたら療養)をしているレオニ叔母の生活や、その心情の推測が多く記述されています。

人は年老いると、それまで親密だった人と会うために出かけたり、連絡を取り合うことも諦めていくといった記述があり、私はまだそういう年齢ではないけれどそういうものなのかなあと感じました。

今は、メールや電話も気軽に使えるので、時代背景の違いもあるかもしれませね。

 

続いて、主人公がパリに戻る際に涙を浮かべてサンザシに別れを告げている場面は、健気でとても可愛らしいです。

主人公に関しては、とても繊細で知的で想像力の豊かな少年ということはよく分かるのですが、明らかに両親に話さない方がいいことを不用意に話してトラブルを招いたり、他者に関してかなりえぐい考察をする一方で、この場面のようにかなり感傷的な一面もあったりして、まだ全体像がまとまらない感じもあります。

 

そのあと、主人公が“メゼグリーズのほう”の平野から遠い地にいるジルベルトを想う気持ちが描かれており、とても甘く切ない印象を受けました。

安っぽい歌詞によくある「君と同じ空の下、生きている」みたいな内容を、高度に文学化した記述だなと思います(笑)

このように心情と風景を絡めて文章を紡いでいく所にも、作家プルーストの類い稀なる個性と巧みさが現れているように感じますね。

 

続いて、祖母の姉妹たちの芸術鑑賞に関する考えについて記述されている箇所も、興味深かったです。

祖母の姉妹たちは、最初から最終的な“正解”となる作品を子供に与えていくべきと考えているのに対し、主人公は、芸術作品を鑑賞する“主観”の変化を重視している感じを受けました。

どちらの考えも分かる気がします。

 

今回の箇所で1番目立つのは、ヴァントゥイユ嬢に関する噂(同性愛疑惑だと思われる)とヴァントゥイユ氏の苦悩でしょう。

そういう時だからこそ、ヴァントゥイユ氏にわざわざ優しい声をかけるスワンの思惑と社交性も、個人的にはかなり理解できます。

この点はどう進んでいくか、気になる所ですよね。この後、ヴァントゥイユ氏自身に関しても、いい意味でかなり重要な事実が明らかにされると記憶しているのですが、どうなのでしょう。

 

小説を再読するときに、強く記憶に残っている所とすっかり忘れている所って、自分の中でどういう違いがあるのかなと思ったりします。