3巻<花咲く乙女たちのかげにⅠ>p186-216.
今日はちょっと寝不足だったので、あまり読み込めていないかもしれません。
スワンの変貌は色々説明されているけれど、よく分からない部分もあります。
2巻までスワンは慎み深く洗練された社交性の持ち主として描かれていたように思いますが、今のスワンは、交流する相手の選び方も、その相手を話題にするやり方も、一言で言うと、一気にくだらなくなったような感じがあります。
色々な言葉でそれが説明されていますが、要はオデットの経歴から夫妻としては社交界からシャットアウトされてしまい(スワン個人としてはまだ交流がある様子)、余裕がなくなったということでしょうか。
どの世界でも一流の人より二流くらいの人の方がマウントをとりたがるようなところはあると思いますが、置かれた立場が変わったとしても、同じジャンルのことについてここまで変わるかなあと思います…。
オデットがコタール夫人と付き合って何のメリットがあるのかという所については、主人公の父親が理解に苦しむ一方で、母親は同じ女性だからか鋭く理解していますよね。
要は、かつての交際仲間に今の自分の華やかな交友関係を触れまわってもらうことで、自分が羨望のまなざしを浴びることに繋げたいみたいな期待があるんですよね。
今ならSNSがあるからわざわざ人を介する必要もないのかもしれません。でも、逆に「映えるものじゃなきゃ自慢にならないから価値が半減する」くらいに思う気持ちと似ているような気もします。
ここでドレフュス事件のことが触れられていますが、後でもっと出てくるようですね。
もう少し歴史や時代背景というか、当時のパリの文化や雰囲気を深く理解していたら、もっと見えてくるものもあるのかなぁと思うのですが…(正直、オデットが社交上とんでもなく非常識なことを口走るという箇所も、註がないと理解が難しかったです)。
この小説の中では、恋愛ってこういうものみたいなことが多々書かれていますが、どれも深みがあって面白いなと思います。
今回は、スワンが知性に関してもお粗末なオデットの話を感心してうっとり聴く一方、オデットはスワンが深遠なことを話しても関心を示さず時には厳しく反論するという箇所で、エリートが俗悪な相手に隷属するのが多くの夫婦の掟と結論づけられていました。
スワン夫妻とは男女逆の場合もあるようですが、確かに、そういうカップルってありがちなのかもしれませんね。
それから、スワンは自分が訪ねてオデットが出てくれなかった際、オデットがフォルシュヴィルと寝ていたのかについて、嫉妬を感じなくなった後も知ろうとはしていたようです。
このあたりの複雑な心は、結構理解するのが難しいです。こんな修羅場みたいなこと経験したことないので(笑)
スワンに関しては、ひときわ厚みのある記述がなされているなあと感じます。