3巻<花咲く乙女たちのかげにⅠ>p216-245.
最初の箇所で、恋愛感情が消滅したあとの描写が見事だなあと思いました。
オデットへの恋心がなくなると、スワンは、自尊心を踏みにじられたことの報復もどうでもよくなり、むしろ新たな恋をオデットに気づかれないように細心の注意を払うようになったとのことです。やっぱり、女好きの男性って、大恋愛をしてもこういう結末になりがちなんですかねえ…。
主人公はスワン夫妻に随分気に入られているようです。
最初好かれていなかったはずですが、コタールの言葉だけでここまでになるとは思えないし、どういうことなのか背景がよく分かりません。主人公は娘のことを好いているし、実際接してみての印象がよかったということなのでしょうか。
ところで、小説を読んでいると、進めるのがしんどいパートってほぼ必ずありますよね。今回、主人公がヴァントゥイユのソナタを聴いた際の考察の箇所が、それに該当(笑)
でも、そこから発展する議論にはとても興味深いところがあります。
確かに、天才の作った作品が種をまいて、それが長い年月をかけて聴衆を育てていき、やがて広く理解されるようになるという現象は、芸術の分野ではそれなりにあることなのかもしれませんね。
主人公がやたらオデットに憧れのような感情を抱いているのはよく分かりません。
子供にとっては、好きな子の美人なお母さん(多分、経歴からくる独特の雰囲気もある)というだけで崇拝の対象になるのでしょうか。何となく、この頃の主人公の方が、既にオデットより知性が高そうな気がするんですけどね…。
あと、ジルベルトが優しい子なのは分かるのですが、分別のある子とされる一例として、ヴァントゥイユ嬢のことを親不孝みたいに言っているところを挙げるのはどうなんでしょう。
現代的な感覚からすると、ヴァントゥイユ氏が勝手に苦悩しただけで、ヴァントゥイユ嬢自身があえて親不孝なことをしたという訳ではないと思うんですけどね。まあ、そこは子供というか当時の感覚なのかもしれませんが。
今日は以上です。