ももてぃの「失われた時を求めて」再読日記

文学に関しては完全な素人です。岩波文庫で読んでいます。一応、1ヶ月1巻ペース

4巻<花咲く乙女たちのかげにⅡ>p25-55.

ちょっと休んでました。

昨日やっと4巻を読み始めました。

 

4巻は、主人公のジルベルトへの恋心はほぼ冷め切り、祖母とバルベックに向かう所で始まります。

 

主人公はまた母親との別離にひどく感傷的になっていますが、結構いい年齢のような気がするんですけどね。愛着の問題でもあるのかなあと感じます。

 

あと、セヴィニエ夫人って有名ですか?ドストエフスキーとかショパンくらい当たり前な感じで出てきていますが、私は読んだことありません。当時の作家というわけでもないようですし…。

 

この作品ではところどころでプルーストの芸術観が垣間みえて興味深いのですが、プルーストは、芸術作品の周囲に同時代の物を配置するという展示のあり方には否定的で、そうした展示が芸術作品の本質的なものを抹殺してしまうと考えていたようです。

どうですかね…芸術作品は、当然その芸術家の生きてきた社会を反映するものだと思いますが、純粋に芸術家個人の精神性から生み出される部分もあるとは思います。

こういうのって、美術館に行くとき、事前に関連知識を得たり音声ガイダンスを聞いたりしながら観る派の人と、何にも知識を入れず自由に感じるままに観たい派の人との対立に似ている気がします。自分は、知識を入れたうえで自由に感じて観たいという欲張り派です(笑)

 

アルベルチーヌとの恋や、エルスチールとの出会いの予告的記述もあり、これからの展開が楽しみです。

それにしても、4巻は分厚すぎる!

3巻<花咲く乙女たちのかげにⅠ>p428-457.読了

今日はコーヒーを切らしてしまって、凄く眠い頭で読みました。

 

プルーストは、幸福はもはや無関心になったときになって初めて転がり込んでくるということを、言葉を変えて何度も書いていますね。

 

ジルベルトへの恋心は収束に至っていく雰囲気を帯び始めます。

色々な考察が添えられていましたが、難解で眠い頭にはあまり入ってこず…いつか読み返したいと思います。

 

スワン夫人に関する描写の箇所に、ラファエル前派が出てきます。

註に、プルーストラスキンを通じてラファエル前派に親しんだと書いてあり、ラファエル前派大好きな自分としては嬉しかったです。

いつかイギリスに行ってたくさんの作品を眺めたいと思っています。

 

スワン夫人の属する特殊なポジションに関する記述は、当時のことが分からない自分としては、なるほどと思いました。

裕福な階級の中で、貴族階級ではないものの、それに近づいた階級ということでしょうか。

当時、そういう裕福な人を見るために野次馬が集まる場所があったというのは、とても面白いですね。

 

初恋は主人公にとっては大分苦いものだったと思いますが、最後の一文からも、スワン夫人との交流は少年時代の美しい想い出となっているのかなと感じました。

 

今月は、4巻も読み始めます。

3巻<花咲く乙女たちのかげにⅠ>p398-428.

今回の箇所は、プルーストの恋愛に関する持論が炸裂している感じでした。

 

例えば「愛に関する限り、その認識は間歇的」と難しい言葉で書かれていましたが、恋心って恋しているときにしか分からないもののような気がします。だから、プルーストが恋愛についてこれだけ色んな段階を精緻に書けるのは凄いなあと思います。1つの段階だけ精緻に書いているのなら、今作者もその状態なのかなって思うのですが。

 

また、男がどんなにあがいても崩せない障壁が、もはやどうでもよくなったときにあっさり崩れ落ちることがあるということも書かれていて、こういう“因果律”の話は恋愛に限らず好きなのかなと思いました。

 

あと、今回1番なるほどなあと思ったのが、「弱点を見たからといってなんら愛情が減るわけではなく、それどころか愛情ゆえに弱点まで魅力的に見える」という部分です。個人的には、弱点が見えれば見えるほどハマるような気もします。弱点が愛おしく思える。まあ、スワンみたいに、人に怒鳴りつけるという相手の弱点を愛そうとは思いませんが。

 

主人公のつらい心情も描かれています。恋愛についてあまり希望的観測ができない時に、また会うことを延期されているつらさは、実は、実際に会ったときの苦痛に比べれば小さいのではないかと感じられるといった記述があり、ここもなるほどなと思いました。会って相手の現実(自分に対する気持ち)を知ることになる、そのことへの恐怖っていうのはよく分かる気がします。

 

それにしても、ジルベルトのためにレオニ叔母が残してくれた壺を売って、1万フラン(約500万円)を得たというのには驚きました。さらに、ジルベルトにプレゼントなどしてやる機会がなくなると、それをすぐに使い果たしてしまった(記述から娼家に通ったということだと思います)というのには、呆れました。神経質な割には、お金の使い方はあまりに大胆ですよね。

 

ジルベルトへの恋心に関しては、他の男性といるのを見かけた気になっているのもあって、このまま会わずにいて気持ちが薄まっていくことを選択したということでしょうか。

 

その他、今日の箇所には、オデットが色々な面で垢抜けた(?)という趣旨で色々記述されていましたが、そこは割愛します。

 

今日は以上です。あと1日で3巻終わります。

3巻<花咲く乙女たちのかげにⅠ>p368-398.

今日の箇所は、ほとんどどうでもいい夫人たちの会話で占められていました。主人公の恋の行方が気になるのにじらしますね…。

 

主人公は元旦にも期待していたジルベルトからの便りが届かず、落胆しています。

プルースト恋愛論。「愛しているあいだは、大きすぎる恋心が心のなかに収まりきらず、拡散して愛する相手へと向かい、相手の表面にぶつかっては止まり、やむなく出発点に戻ってくる」これをわれわれは、自分から出たものと認識せず相手の感情として認識してしまう訳ですね。

自分がこんなに好きなのだから相手にとっても自分は特別だと、いつのまにか思い込んでしまうのは、こういうメカニズムによるものかもしれません。

 

今日は以上です。主人公ちょっとかわいそう。

3巻<花咲く乙女たちのかげにⅠ>p338-368.

かなり前に読んだ箇所の記録です。

 

プルースト恋愛論にハマっている私です。

恋愛では獲得できたものが常にそれ以上のものを欲する新たな出発点になるため、恋愛に平静などありえないというのは、なるほどと思いました。恋愛感情が高まっている間は、そうなのかもしれません。

プルーストは、恋愛とは基本的に苦しいものと考えているように感じます。

例えば、恋愛の中には絶えず苦しみがあって、その苦しみを歓びで中和して顕在化しないようにしているにすぎないといった内容の記述もありました。

こうした恋愛観には、プルーストが同性愛だったことも関係しているのかもしれません。

 

さて、主人公の初恋はなかなか苦しい展開になっていきます。

プルーストの書き方って、肝心な局面でよく分からない感じがすることも多い(だいぶ後の記述で判明することもある)のですが、ジルベルトが不機嫌になって主人公と仲違いすることになる展開は、今の所よく分かりません。一読者としては、それほどのことか?っていう感じです。

それに対して、仲違いがこじれていく中での主人公の心の動きは精緻に描かれており、心の中でジルベルトの重要性を冷静なものにして色々なジャッジをしようとしているところなど、相手を欲するがあまりの必死さが見事に描かれているなと思いました。

この主人公の初恋は、スワンの大恋愛ともかぶるところがあり、ジルベルトが仲直りしようとしてきた場合に巧妙にやり返そうと考え込んでいるあたりなど、スワンと話が合いそうだなあと思ってしまいました。

 

あとは、オデットのサロンの描写もありました。

割とリラックスしたムードのサロンだったのでしょうか。

 

今月中に4巻も読み始めようと思っているので、あまりサボらないようにしないとです。

3巻<花咲く乙女たちのかげにⅠ>p308-338.

今日の箇所は、色々と面白かったです。

 

ベルゴットの知的な懐の深さが描き出されていますが、主人公にとってベルゴットは知的な面での父という感じの存在になっているのかなと思いました。

 

医者をめぐるベルゴットと主人公の考え方の違いも、本筋には関係なさそうですが、面白く読みました。

ベルゴットは、おそらく主人公の神経症的な特徴(主人公の不調には心身症的な側面がある)をふまえて、知的な人に必要なのは、知的であるがゆえの不調を理解できる医師(つまり自身も知性が高い医師?)であると考えているようですが、主人公は知的な人と愚かな人で医師の異なる対応が必要とは思えないと考えています。

 

こうした議論に付随して、ベルゴットの割と激しい裏表も描かれていますが、さすが作家というか、現実を鋭く観察し巧みに言葉にしている感じはあります。スワンがオデットと結婚したことで味合わなくてはならなくなった悔しさを鋭く考察し、「こらえているのがわかります。だって口が歪んでるでしょ」などとかなり意地悪な根拠まで付け加えています。

大人になれば、人付き合いなんてそんなものだとも思いますが、これくらいの年齢の子供にとっては、こういう人の裏表ってちょっと驚いてしまうかもしれませんね。

 

そのあと、スワン夫妻(というかスワン夫人)をよく思っていない主人公の両親が、ベルゴットが主人公を「頭がいいと思った」としたという報告を受け、ベルゴットに対する評価(のルポワ氏の影響が大きい?)をころっと変えたのは、すごく親バカですよね(笑)

 

話題ががらっと変わり、主人公が性の世界へと導かれていきます。

ブロックが娼家に連れて行ってくれたとのことですが、ちょっと謎の記述が付け加えられていて…。娼家に通うようになる以前に、従姉妹のひとりと関係をもった経験があったということ(それが初体験)ですかね?このへんの時系列が、ちょっと混乱しました。しかも、相手が従姉妹ってことに関して、全く説明がないし。

こういうことになるとかなりぼかして書かれているような感じがするのは、気のせいでしょうか。割と重要なことだと思うので、もう少し明確に書いて欲しい気がします…。

 

主人公が、いつかの心変わりも予想せずにスワン夫妻に対しても一生懸命になっているのは、初恋らしいというか、かわいいなと思いました。

スワン夫人から、私が親ならあなたに後見人をつけると言われたりしているけれど、これは作者自身の散財癖が描写されているようにも思えました。

また、主人公が大使館で働かないことに決めたのはジルベルトのそばを離れないためだったと書いてありましたが、スワンに関してもオデットのためにパリを離れられなくなったという描写があって、作家自身の経験と関連しているのかなあと思いました。

 

そのあと、いっこうに仕事(作品を書くこと)にとりかかれない主人公の内面の描写は、先延ばし癖のある人には、とても共感できるものだと思います(笑)

 

ところで、主人公の年齢って明確には書かれていないと思いますが、何歳なんですかね。

どこかでコレージュって書いてあった気がするし、公園で遊んでいたし、最高で中2くらいかなと思っていたのですが、娼家とか職業選択の話題が出てくるということは、いつのまにか高校生くらいになっているのでしょうか?

読み飛ばしたところがあるせいで分からなくなってしまったのかな(汗)?

 

やっぱり参考書もまた読んだ方がいいのかもなあ…と思えてきました。

3巻<花咲く乙女たちのかげにⅠ>p277-308.

今月はいいペースできている気がします。

4巻が比較的長いようなので、今月中に4巻を読み始めてもよいのかなと思います。

 

ベルゴットに関する考察に付随して、プルーストの芸術家観が伝わってくる所もあり、難解ですが興味深いですね。今回の箇所では、天才とは映し出す能力にあるということが書かれたりしていました。

 

ベルゴットが、天賦の才が自身にあることを承知していながら、アカデミー会員になるのなんかを狙って奔走していたとう部分の考察も興味深いです。

尊い芸術の才能があってそれを本人が自負していても、俗っぽい野心をもつこととそれは両立しない訳ではないし、だからといって、その才能が作品を作り上げることをそれが妨げる訳ではないということですかね。

太宰治とかもそんなところがあったという話を聞いたことがあるのですが…。これだけ後世にも残る、誰もが認める普遍的な作品を書いた作家でも、その才能に比べればとるにたらない名誉を欲しがったりするというのは、人間の性なのかなあ。

 

ベルゴットと主人公がラ・ベルマの演劇について話し合っている所は、また読み飛ばしてしまったのですが、その後の考察部分は興味深いです。

力強い考えはというものは、相手を黙らせて二の句をつげなくさせることはせず、相手の考えの中に取り込まれて力を発揮していくという感じでしょうか。ここでは、ベルゴットの議論がそのような力をもつもので、ノルポワ氏のものは空理空論と落とされています。

ノルポワ氏については、その後の部分で、ベルゴットにもスワン家にも全くよく思われていないことが伝わってきますね。

 

それにしても、憧れの作家と話す機会をもてるというのは、すごいことですよね。

私も10代の頃は、サリンジャーと話してみたいなんて思っていました。